2003年度の地理学巡検(8月20日〜23日)は,北海道日高地方および有珠山周辺で行いました.今回の巡検のテーマは日高地方における海成段丘や河成段丘に関する調査や段丘面の利用方法に関するものでした.しかし,日高地方は巡検の10日前に,台風15号により甚大な被害を被りました.今回の巡検では被害を生じた地域やその復興の様子についても現地で観察を行ってきました.
 第1日目は苫小牧に現地集合ということで,空,陸,海のそれぞれのルートで集合場所へきました.私は青森から千歳空港まで飛行機を利用しました.写真はタウンシップ制の影響が残っていると思われる苫小牧周辺の農地の様子です.
   
 今回の巡検では平取町教育委員会の舘合さん(写真の黄色いTシャツの方)に大変お世話になりました.舘合さんは弘前大学地理学教室のOBです.災害の復旧等で大変忙しい時期に時間をさいて巡検の企画や案内をしてくださいました.ありがとうございました.
  
 交通手段は貸切バス(大型).歴史ゼミから参加の工藤君です.
   
              
 鵡川町の東部にて,北海道埋蔵文化財センターによって発掘調査を行なわれていた米原W(4)遺跡を見学させて頂きました.この遺跡は,ステージ5cに形成された河成段丘面を浅く掘りこむ浅い谷に位置しています.縄文時代中期〜後期にかけての遺跡で,エゾジカの狩猟のための落とし穴などが発掘されていました.説明して頂いているのは,北海道埋蔵文化財センターの芝田直人さんです.
   
   
 写真中の白くみえる層は,樽前bテフラ(1667年降下)と有珠bテフラ(1663年降下)です.これらのテフラの降下は,周辺の土地を荒廃させ,シャクシャインの戦い(1669年)を引き起こした原因のひとつではないかと推定されています.説明して頂いてるのはセンターの山中文雄さんです.炎天下の中,熱心にそしてわかりやすく解説をして頂きました.芝田さん山中さんありがとうございました.
     
   門別町の海食崖付近で海成段丘堆積物の観察中です.
        
 日高地方は軽種馬の牧場が到るところでみられ,全国のサラブレットの8割が日高産が占めているそうです.日高地方では海成段丘・河成段丘面や川沿いの沖積平野の発達が良好であり,平坦面が広がっています.そのような地形を利用して軽種馬の牧場がつくられています.今回,平取町のサラブレットの生産牧場,育成場である雅牧場(ダイタクの名馬を数多く生み出す)を見学させて頂きました.現在15頭の親馬がいるそうです.写真に写っているのは,この牧場で働く岩手県一関市出身の鈴木さんです.21年間にわたり毎日5時起きを続けているとのこと.写真中の子馬の父親は,エルコンドルパルサーだそうです.   
      
 馬に与える牧草はアメリカ産,エン麦はオーストラリア産だとか.馬の気持ちをを味わう後藤君と葛西君です.
     
 オーナーの清水さんです.休養にきていた馬を千葉の厩舎へ送り出す際の写真です.「寂しいものですか?」との質問に「しっかり稼いできてほしい」とのご返事をいただきました.この脇には1周1000mのトラックやシャワー付き温泉,冬季用のウォーキングマシーンなど,とにかく充実した設備でした.オーナーの清水さんの「馬は1から10までギャンブルだからね」との言葉が印象に残っています.  
      
  
 平取町にある二風谷ダムの様子です.台風によって多量の流木がダム内に流れ込んでいます.ダムを見学する予定でしたが,復旧作業の関係から不可能でした.この時には,ダムの駐車場がダムから引き上げた流木の置場となっていました.
      
                
 台風による災害は沙流川流域の至る所でみられましたが,平取町内の小河川の流域でもその痕跡が残っていました.実はこの住宅地に舘合さんの自宅があるのですが,その上流の様子を下の写真に示します.
    
   
 舘合さんの自宅から数百mの地点の写真です.小規模な段丘面の上にのりあげた氾濫時の堆積物や流木がみられました.
    
   
 また,谷底沿いの斜面ではかなりの数の崩壊がみられました.いわゆる後氷期開析前線付近で発生した崩壊がほとんどでした.ただ,私には崩壊の深さが浅い印象を受けました.崩壊による流出土砂量としてはそれほど大きくないのでは?と感じられました.崩壊が多発したにもかかわらず,幸いにも舘合さんの自宅の地域では大きな被害が生じなかったのは,このような理由によるものなのかもしれません.
    
 沙流川支流の額平川に注ぎ込む貫別川の堤防が決壊して,平取町貫気別集落において36戸の家屋が床上浸水の被害を受けました.周辺には厚さ30cm前後の泥が堆積しています.
    
 家の内部の様子です.復旧活動を行った舘合さんの話では,1つの家の泥を除去するのに大人5人で半日かかったそうです.空中写真等での確認はしていませんが,被害が生じた家屋の多くは,自然堤防に隣接する後背湿地にたっていたように思えます. 
       
 国立日高少年の家に宿泊しましたが,施設は沙流川沿いの低位の段丘上にありました.沙流川に注ぎ込む小河川が施設の背後で屈曲しているのですが,豪雨時には,その部分からオーバーオーフローした流れによって施設内に大量の砂礫が流入したようです,私たちが宿泊した時も砂礫の除去作業が行われていました.
    
 少年の家に多量の土砂を流し込んだ小河川およびその堆積物
         
 日高少年の家では,朝の集いの時間において,宿泊している各グループの代表者が挨拶をします.うちのゼミの後藤君は小学生を前にして「僕たちは,崩壊とか侵食前線などを調べに来ました」と話していました.残念ながら聴衆に理解されることはなかったと思います.
     
 2000年に噴火した有珠山の西山周辺において噴火の際の地形変化などに関して観察を行いました.西山においては,被害を受けた地域の一部を火山のテーマパークとして保存しています.多くの観光客が訪れています.写真中央部の建物は噴火の際の地盤変動や火山噴出物の降下により破壊されたわかさいもの工場です.
     
洞爺湖幼稚園の園舎です.噴石によって至る所が穴だらけでした.
        
 新しい噴火口の周辺では正断層がみられました.学生さんにクリノメータで走向を計ってもらいましたが......少し悲しかったです,私.
       
 この周辺では,虻田町などの住民によって,観光客を対象としたこのような店が数多く作られています.ここで,お店の人に聞き取り調査を行いました.
     
有珠山の展望における,ほのぼのとした一枚の写真
    
 平取町義経神社前での記念撮影です(第1日目).実はこの後,巡検参加者が少しずつリタイアをしていき,最終的には14名のみが最終日までの参加となりました.次回はどこにいきましょうかね,葛西君?
   
おまけです.白老町の民宿500マイルにて
弘前大学教育学部自然地理学研究室