パソコンやインターネットは若い健常者の利用を想定して開発されてきた。それでも当事者のさまざまな工夫により、障害者や高齢者にも利用されるようになった。
利用者がようやくパソコンに近づいたかと思えば、パソコンは次の段階に進化し、遠ざかる。一例を挙げれば、合成音声の画面読み上げにより、視覚障害者が当時のMS-DOSパソコンを利用できるようになった矢先、Windowsの時代を迎えた。MS-DOSパソコンでワープロが使えればいいというわけにはいかない。「同じ時代同じ社会で暮らす皆と同じことをやりたい」と誰しもが思う。就労においてはより切実である。
アクセシビリティ指針の普及により、障害者や高齢者の利用を考慮した開発が行われる動向にはある。しかし、進化しつづけるITの宿命として、支援技術もまた確立された技術となりえず、技術者と利用者の二人三脚による模索をやめるわけいはいかない。
ここで、「新聞」について考えてみよう。通常私達は大きな見出しをざっと見て、興味のある記事を詳しく読む。では「電子化された新聞」の場合はどうしたら読みやすいだろうか。もちろん技術者はさまざまアイディアを出しあって電子新聞のシステムを作るだろう。しかし、本当に使いやすいものにするためには、開発者と利用者がそれぞれの立場から試行錯誤を繰り返し、工夫を積み重ねるプロセスが不可欠である。障害者や高齢者の支援技術についても同様である。
このような境界領域の研究開発は、目的が明確で、効果が目に見えることから、大変おもしろいものである。しかし、これだけ技術が進歩している割には境界領域の研究が進んでいないのも事実である。
たわいもない話なのだが、境界領域の研究にはちょっとした「落とし穴」がある。先ほどの例で、技術者が「電子新聞システム」を試作し、誰かに使ってもらったとしよう。この時「そんなものは使い物にならない」と言われてしまったらどうだろう。事実、そう言われることが多いわけだが、もしかしたらその一言でその研究がストップするかもしれない。それよりは「いいところを見つけて誉める」ことで、もうひと工夫してもらった方がいい。
一方、利用者のあらゆる意見を取り入れ、巨大なシステムを開発したとしたらどうだろうか。これもよくある話である。技術者は「苦労して言われたとおりのモノを作った」と言うかもしれないが、使い物にならない場合が多い。(もちろん「無駄」も必要ではあるのだが...)
「何がいいのか」は誰も知らない。だから一緒に模索し、謙虚に「芽を育てる」以外の近道はない。
話題を「ものづくり」に転じよう。技術が専門化・細分化し、技術者(ものづくりのプロ)にとって自分の仕事が社会のどの一角を担っているのか理解しにくくなってきた。多くの技術者は、技術的な興味を満たすだけで満足しているわけではない。「自分の専門技術を我々の日常に役立てたい」と思っている。一方では、「身近な工夫=ものづくり」が忘れられかけている。そのおもしろさを次の世代に伝えていきたいものだと思う。
プロの技術者もものづくりが好きな人も、活躍の場はいくらでもある。障害者や高齢者の技術支援には、高度な技術も重要だが、ちょっとした技術的な工夫が大きな効果をもたらすことも少なくない。まずは、障害者や高齢者のすぐ近くで、しばらく「観察」するといいかもしれない。技術者ならばさまざまな考えが浮かんでくるにちがいない。
最後に、インターネットの楽しさを伝えたい。インターネット(ホームページ)は自分の作品や考えを発表する場として実に具合いがいい。実は、この文章もホームページの一角に置いている。他にも、これまでに私が作ったモノをホームページでいくつか紹介している。このように、ホームページは「存在の証し」を残す恰好のメディアである。誰でも手軽に「出版」でき、印刷物の自費出版と違いお金はかからない。最近は、ホームページで「自分史」を作る人も多いようである。「家のヨメは...」は具合いが悪いが、「最近の若い者は...」「私の若い頃は...」などと書いてさっぱりすれば健康にも良いだろう。「先祖伝来の○○」「漬け物の秘伝」のページなど作れば、ある日見知らぬ人から突然問い合わせが来て、思わずほくそえむこと請け合いである。話がはずんで「全国版: 漬け物の秘伝」が生まれるかもしれない。既にインターネットを楽しんでいる友人がいれば、秘伝を公開したことを伝えよう。年賀状の話題もまたひとつ増える。高齢者のIT活用のひとつではないだろうか。